もし、仮にあなたが学校の先生で、子供たちにTシャツを配るとしたとき、
「子供たちに公平になるようにTシャツを配る」としたら、どっちを選択しますか?
A. 小さな子供でも大きな子供でも一律でMサイズのTシャツを配る。
B. それぞれの体型にあったサイズのTシャツを配る。
いろいろなサイズのTシャツを揃えると、もしかしたら、特注サイズの子供もいるかもしれません。
もしかしたら、大きなサイズの価格は小さなサイズのそれと比べて高いかもしれません。
そんな風に特定の子供だけに対して時間やコストをかけることが「公平」といえるでしょうか?
これはあくまで「学校」もしくは「先生」という立場からみた目線では公平です。
まさに、工場で1サイズのTシャツしか作れない、感情のない機械が作る作業と変わりありません。
一方、子供の立場になったときの「公平」とは、誰でも同じぐらい動きやすく、
自分の体型や個性を平等に表現・発揮できる状態ではないでしょうか。
相手の気持ちを考えて物事に取り組む。
それは、学校であってもビジネスであっても同じです。
自分の考えの中で「当たり前」「公平」と思ってやっていることでも、
相手はそう感じていないかもしれません。
それは、もしかしたら相手の個性やオリジナリティーを無視した、
自分勝手な「これが普通」という非常識な考えの押し付けになるかもしれません。
産業革命以降、大量生産・大量消費、効率化が求められるになり、
相手の立場ではなく、自分の都合が優先された機械化された考えが多くなった現代。
もちろん、相手の要求だけを鵜呑みにして、成り立たなくなってしまうのは本末転倒ですが、
お互いが今よりもほんの少し、思いやりの気持ちを持つことで社会は劇的に変わるような気がしました。
少し手間かもしれませんが、もし、あなたが先生になったら体型にあったTシャツを配ってみませんか!